1
銀色の犬からまだ姿の戻らないヘルの空間転移に導かれ私たちが着いたのは、魔界のはずれ。
魔王城とその城下町が見下ろせる小高い丘だった。
ここは人間界とは違い、地下にあるって聞いていたけれど明るい。
どういう仕組みなのか、ちゃんと太陽? に似たものも空に浮かんでる。
「魔界には来たけれど、私はあなたのご主人様の封印を解く気はないわよ。それに、やり方も分からないし」
ヘルは主、つまり魔王にかけられた封印を私に解いて欲しいみたいだけど、私はそんなことできないわ。
ドローチェとポルックスの会話から、魔王っていうのと神魔獣の間には何の関係もないってことはなんとなく分かったけれど、それでも会うつもりはない。
だって、こっちに来てから王とか王子とかそう呼ばれる者に会うと、漏れなくセットで厄介事がついてきてるのよね。
私、この前の事件では結構がんばったじゃない? だからしばらく何にもせずにゆっくりしたいのよ。
魔界に来たのははっきりいって休暇のためなんだから。
ヘルには悪いけど、自宅に招待してくれるっていうなら、私はそこで寝て暮らす予定。
「いいですよ。主には会っていただきたいですが・・・・・・気が向いたらで結構です。細かいことを気にするような方じゃありませんから」
そ? なんて銀色の毛並みを撫でてから、うーんと両腕をあげて身体を伸ばし、前方を見つめた。
「きれいね」
丘からすぐ下に見える森に目を落として私は呟いた。
「ええ。魔界でもここだけは別世界でしょう。聖陽木の花が常に満開に咲いているのですよ」
そこは数え切れないくらいの聖陽木が花をつけ、当たり一面に花の香りが漂っていた。
──まるで金色の海。
「幻想的ね」
その瞬間、眩暈がして目の前が真っ白になった。そしてスローモーションのようにゆっくりと何かのイメージが私の頭に浮かびあがった。
──父さん、母さん、なんでリンネばかりかわいがるの? 僕のこと嫌い? 僕はいらない子なの?
急に頭の中に声が響いて、気がつくとなぜか小さな家にいた。
そこには男の子と女の子。それに子どもたちの親と思われる男女。
子どもは2人とも金髪に青い目をしていて、よく似ていた。
男女の違いはあるけれど、おそらくは双子なんじゃないかしら。
そう思いながら辺りを見回した途端、背景が変わった。
──小さな町だった。
ううん、村なのかもしれない。
すぐそばに森のある、素朴な村。木造の小さな家が間隔を開けて、点在してる。
遠くから人の声が聞こえ、耳を澄ました途端、急にその情景が目の前に現れた。
「化け物」
「魔人の子!」
聞こえていたのは、子どもたちが誰かを罵倒する声だった。
近寄ってみると、それはさっきの男の子?
子どもたちは手に棒を持ち、男の子を殴ったり蹴ったりしている。
「やめなさい! 何をしているの」
私は彼らに声をかけるけれど、子どもたちには私の声が聞こえていないみたい。
なぜ? どうして私の声が聞こえないの?
居ても立ってもいられなくなり、飛び出して止めようと1人の子どもの肩に手をかけた。
「え・・・・・・?」
触れない。
まるで、私はここにいるのにいないみたいに、伸ばした手は彼らの身体を素通りする。
この光景は誰かの夢? 私は誰かの夢を垣間見ているのかしら?
そう思ったけれど、苛められている子どもを放ってはおけない。
どうしたら助けられるのか、考えないと。
けれど、何もできないまま時間だけが過ぎていった。そして助けることもできないうちに、ぼろぼろになった男の子は投げ出され、ほかの子どもたちは消えていた。
日が傾いてきていたから、きっとみんな家に帰っちゃったんだわ。
「大丈夫?」
私の声は聞こえないかもしれないけれど・・・・・・それでも声をかけずに入られなかった。
「お姉ちゃん、誰?」
男の子は私の声に反応して返事を返した。
聞こえた? 私が見えるの?
びっくりして言うと、男の子は首をかしげそして笑った。
だけどその時遠くから女の子の悲鳴が聞こえてきた。
「リンネ? この声はリンネだ!」
男の子はまだ身体が回復していないだろうに、立ち上がると声のするほうへまっすぐ走り出した。
「待って」
私も彼を追って森の中へ入る。
「リンネ!」
やっと追いついたそこには、リンネを背にかばう男の子の姿があった。
そして、その前には・・・・・・魔獣?
「逃げるのよ、2人とも!」
私は魔獣に向かって魔術を発動させようとする。
だけど・・・・・・魔法が使えない? もしかしてこれは、誰かの夢の中だから私の魔法も無効なのかしら。
そしてじりじりと狙い定めた獲物に近づく。
ダメよ!
そう思った時、突然魔獣は燃え始めた。
「もしかして、魔法?」
男の子の手が魔獣に向かって突き出され、そこから炎の玉がいくつも生み出されていく。
今まで全然気づかなかったけれど、男の子は膨大な量の魔力をもっていたらしい。
彼の放つ炎の激しさに目を見張った私は、けれどすぐに気づいた。
──この子はこれを制御しきれていない。
暴走した魔力は魔獣を倒した後もなお、炎を作り続ける。
このままでは森が・・・・・・それにさっきの村だって無事にはすまない。
男の子もそれに気づいているようで、何とかしようとする。
けれど焦れば焦るだけ炎の勢いは強まり、森はどんどん燃えていく。
やっと炎がおさまったころには、辺りは焼け野原と化していた。
そしてまた景色が変わる。
──村の広場だった。
もう夜になっていたけれど、そこには村の全ての人が集まっていた。
「どうしてくれるんだい。村が、村がお前のせいで丸焼けじゃないかい」
母親が罵る声。それに・・・・・・。
「化け物だ」「殺せ!」
口々に叫ぶ村の大人たちの声。
中心にはあの男の子の姿があった。
リンネはその様子を母の影から怯えたようにうかがう。
村人は男の子に怒りの声をぶつけるけれど、決して手を出そうとしない。
怖いのだ。男の子の力が。
ふいに男の子が焼けた森に向かって走り出した。
それをみて村人は口々に言った。
「追え」「殺せ」「殺しちまえ」
男たちは手にたいまつを持ち、夜の森を探し回る。
男の子は耳を塞ぎ、森の奥へ奥へと走って逃げる。
その間ずっと、私には聞こえていた。
助けて。助けて! ごめんなさい。
わざとじゃないんだ。リンネを助けたかっただけなんだ。
許して。
逃げなきゃ。殺される。
誰か・・・・・・。
泣きながら救いを求める男の子の悲痛な叫びが・・・・・・。
「だれ?」
男の子は急に立ち止まると涙にぬれる顔をあげた。そこにいたのは緑の髪のエルフで・・・・・。
「あんた、強い魔力を持ってるね。それじゃ人間の世界じゃ生きにくいだろ。もしかして、逃げて来たのかい。
まあ、詳しくは聞かないよ。
着いといで。あんたはあたしが拾ってやるさ」
彼女はそう言って男の子の顔を覗きこんだ。
「あたしはアンフィ。あんたは?」
「ぼ、僕は・・・・・・僕はルンネ」
「・・・・・・ネ様、ルネ様?」
気がつくと銀の獣が私の顔をのぞきこんでいた。
え? っと、ここは・・・・・・。下を見ると聖陽木。ああ私、花を見ているうちに眠っていたっぽい?
それにしても変な、夢。
「・・・・・・ごめん、寝てた」
ヘルに誤りながら、私は別のことを考えた。
たしか前にも聖陽木の花を見た時、私・・・・・・変だったんだ。
こんな木、記憶の中にはないのに、なんでこんなに心が揺れるんだろう? 不思議。
「しっかりしてくださいよ。もうそこは魔界の首都ショラブルーニアなんですから」
いつまでもぼぅとしている私のスカートのすそを、ヘルはちょいちょいとひっぱり訝しげに首を傾けた。