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「グラエス。この女をどうする気だった?」
この前いきなり私の部屋にやって来た謎の少年が、突然姿を現した。
この前と同じように貴族の子息のような格好をしていたけれど、今の彼は別人のように冷たい雰囲気をまとっていた。
まるで、凍れる刃のような刺すような目と、魔力。
怒鳴られたわけでもないのに大気が震え、窓のガラスが何枚かミシミシと音をたてて割れた。
おそらく、ヘルを脅迫しようとした彼らに対して怒っているのだろうと思う。
少年は男──グラエス──をひと睨みすると言った。
「馬鹿な真似はしないことだ」
って・・・・・・少年とグラエスの対決なんて私にはどうでもいいよ。
それよりも、涙が止まった理由は少年の行動にびっくりしたから!
いきなり現れてグラエスに釘を刺したあと、少年はこともあろうに私を抱き上げた。
なんで?
私を縛っていた縄は、彼が現れたことによる魔力のせいで簡単に切れていたからそのままにしておいてくれたらよかったのに。
お姫様抱っこのかたちで抱き上げられることは、ブランシュのおかげで慣れているとはいえ・・・・・・少年はブランシュほどには大きくないから、なんか不安定。
決して重くはないと思うんだけど、落ち着かないからできれば降ろして欲しい。
そう言いたいけれど、言えない雰囲気なんだよね・・・・・・はぁ・・・・・・。
視界の端に映るグラエスは、少年が現れると同時に、悪巧みを暴かれてしまったかのように放心状態だし。
なにこれ? どういう場面? もしかしてこの少年ってグラエスよりも身分が上?
なんて首を傾げていると、グラエスは突然その場に崩れ呟いた。
「へ、陛下。魔王陛下がなぜ、このような所へ・・・・・・」
──ヘイカ?
え? グラエスの呟きに思わず至近距離にある端正な顔に私は目をやった。
しかし、今は答える気がないのか私のことなんて無視してそのままグラエスに向かってしゃべり続ける。
「グラエス、今回は未遂だったが・・・・・・次はないと思え」
底冷えのする低い声で少年が言葉を発するだけで大気がビシビシと揺れる。
なんか、怒ってるみたいだけどやめて欲しい。
だってそのビシビシ、近くにいる私にも当たってるんだよ?
床に頭を付けそうになるほどの圧力を与えられているグラエスほどではないけど、さっきから髪の毛が風もないのに揺れてるんだから!
そうは思ったけど、これは口をはさめる雰囲気じゃない。
じっとしてたほうがいいのかも。
いつもならどんなときでも口を挟んじゃう私だけど、なぜかこの時ばかりはじっとしていた。
雰囲気に飲まれるなんて、私らしくもない。
自分で自分の行動に嫌気がさして俯いた途端、いきなり景色が変わった。
少年がまたいきなり転移したみたい。私を抱き上げたまま。
「悪かったな。身内のごたごたに巻き込んでしまって。ヘルを人間の国に行かせている間、グラエスに代わりを務めさせていたが・・・・・・まさか
アイツがここまでの暴挙に出るとは思わなかった」
そう言って少年──あとから聞いたら名前はルパートと言うらしい──は頭を下げた後、今回の事件のこととその背景を説明してくれた。
それにしても・・・・・・いつもなら私、誘拐された事を逆手に取って敵の内部を調べてから返り討ちにするっていうのがパターンなんだけど。
今回はその必要がまったくなかったわね。
だって、たぶん国の一番上に立つと思われる人物が首謀者の前に現れたのだから。
まったく暴れていないから少し物足りなさを感じるけれど・・・・・・私がワザワザ首を突っ込まなくてもいいんだと思うと、ルパートに頼もしさを感じる。
だって、この国にいる限り私はみんなを守るために、怖れられるのを承知で力を使わなくても大丈夫かも知れないと思わせてくれるから。
今まではいつも、自分で何とかしなきゃと思っていた。そのせいでウェントーラでは嬉しくない二つ名まで付いちゃって。
こっちに来てからもいろんなことに首を突っ込んだ。
だから今回も私はグラエスってヤツに捕まったまま様子を見て自分の力で何とかしようと思っていた。
でもそんなこと全然必要なかった。
私が動かなくてもこの国の王であるルパートは、何が起こっているか分かっていたし、自ら動いてくれたのだから。
こんなこと、初めてだわ。
だって、いつも助けるほうで・・・・・・助けられたのなんてなかったもの。
「ヘル様、ルネが消えましたわ」
そういってミストが駆け込んできたのは夜遅くだった。
いつもの癖でルネに買い物を頼んだが、帰ってこないというのだ。
ミストが意地悪をするのはたいてい気に入った相手のみ。分かりにくい彼女のその性格をルネは絶対に気づいていないだろうけれど。
ここまで血相を変えているということは・・・・・・よほどルネのことを気にいったのだろう。
しかしルネならば心配しなくとも大丈夫だ、とは思うが。
そう思いつつもヘルは微弱なルネの魔力を探った。
彼女は日ごろ自分の魔力を封じているので、それをほとんど感じることはない。
しかし長期間ルネと一緒にいたので、ヘルにはその気配をたどることができた。
そして・・・・・・居場所を特定すると「ふふふ・・・・・」 と一人で笑い出した。
それはグラエスの息子が住んでいる町外れの古びた屋敷から感じられたからだ。
グラエスは交戦的で魔力至上主義的な考えが強く、自分の息子であるビットーリオが魔法を使えなかったのを許せなかった。
そのため、ビットーリオは本家から離れた屋敷に捨てられるように住まわされ、そんな彼のことを陰で廃棄公と呼ぶ者も少なくない。
どうしてその息子の屋敷にルネがいるのかは分からないが、グラエスがこれを利用しないはずはない。
なぜなら、ルネが人間の身でありながらヘルの屋敷に客として滞在しているということを彼も知っているだろうからだ。
そしてヘルとルネの関係を説明したことはないため、ほとんどの者がミストのように、ルネをヘルの愛人だと誤解していた。
「グラエスめ、陛下の補佐官という椅子は随分と座り心地が良かったとみえる。私を排除しようと思うとは。しかし・・・・・・さらった相手が悪かったな」
ヘルは上機嫌でひとりごとを呟いた。
──そう。相手が悪かったのだ。
彼女ならば助けなどなくとも、グラエスの手から逃れることくらいわけはない。
それどころか・・・・・・ただ逃げるだけでなく、確実に相手の意図を見抜き返り討ちにするだろう。
ヘルがやることは、ただ少しだけ大げさに騒げばいいのである。
ルネがヘルにとって十分な人質となりうる特別な人間だとグラエスに思わせるために。
グラエスを政治的に破滅させる。その意図を持ってヘルは手配書を大急ぎで作らせるとグラエス他、何人かのもとへ魔力を使ってそれを転送した。
しかし、ヘルもまた見誤っていた。
いや。ルネとの距離が近すぎて忘れていたのだ。何のために彼女を魔界まで連れてきたのかということを。
救出が送れてもルネならば自分の力で何とかするだろう。
そう思いグラエスを罠に嵌めるための材料集めを優先させたヘルのもとへ彼は転移魔法を使って突然現れた。
「ヘル、あの娘をどこへやった?」
「陛下。彼女は今、ちょっと・・・・・・」
ちょっとだけ、外へ買い物に行っていると、そう言おうと思った。
しかしそこに現れたミストによってそれは叶わなかった。
「ヘル、この手配書はなんですの? ルネはあのグラエスの廃棄公の屋敷にいますのよ。
こんなものをもしグラエスが見たら、あの子は格好の人質として使われてしまいますわ!
グラエスがヘルを追い落とすためにあの子に何をするか・・・・・・考えただけでも恐ろしい」
勢い込んでやってきたミストがそう言うと、ヘルに掴みかかってきたのだ。
そしてその手配書とルネの居場所を聞いた、彼は全てを理解し言った。
「ヘル、ヘルベロス。お前たちの争いにあれを巻き込むな」
その静かな怒りにヘルは凍りついた。彼がヘルをヘルベロスと呼ぶことは滅多にない。
そして、ヘルに掴みかかっていたミストもそれに気づいたのだろう。急いでその場から離れた。
「しかしお言葉ですが先に手を出してきたのはあちらで・・・・・・」
「黙れ。オレが分からないとでも思っているのか? 先に手を出したはあやつでも、それを利用しようとした時点でお前も同じだ。
見つけてきたことに免じて今回は見逃してやるが、二度はないと思え」
その様子にヘルは慌てた。今までの彼の様子からは、ルネに対してそれほどの思いを持っているとは思えなかったからだ。
だからこそ、ほとんど護衛も付けずに彼女を自由にさせていた。
だからこそ、自分の地位を脅かそうとするグラエスを失脚させる餌として使おうと思った。
しかし・・・・・・彼女をぞんざいに扱えば自分こそが排斥させられてしまう。
このときヘルはそれを確信した。