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ブランシュとリオが異変に気づいたのは、ほぼ同時だった。
「あんたのお姫様のお相手、しなくていいの?」
「ふん。そんな気を回せるほどまだ余裕があるのか」
剣を交える2人を眺めていたルネが、飽きたように屋敷に戻っていくのを感じながらリオが軽口を叩く。
それを受け流しながらも、今日もまた相手をしてやれなかったなと思ってしばらく経ったときだ。
「!」
ドン! と音がしそうなほどの圧迫感とともに何かビリビリとした空気が屋敷から溢れ出す。
それに驚き目を合わせれば、ブランシュは見たことない、驚いた表情と続いて焦った顔をした。
そして次の瞬間、彼は何かを叫びながら屋敷の中へ走って行った。
なんなんだ? といぶかしみながらもリオもその後に続く。
そして、そこで見たものは血の海に横たわるルネと必死に声をかけるブランシュの姿だった。
「誰がこんなことを・・・・・・」
リオはさっきまでルネが座っていたと思われるソファに目を向けた。
と同時に最近嗅ぎなれた香水の匂いに気づいた。
おそらく、ついさっきまでここに、この香りをつけた者はいたのだろう。
しかし、今はいない。
それが何を意味するのか・・・・・・リオはキンブリーズ家の令嬢の顔を思い浮かべた。
最初に会ったのは彼女が襲われている現場。
襲っていたのは、最近従兄弟のヴィスヴィルが付き合っている悪い遊び相手だった。
だから助けた。
身内から犯罪者が出れば、父上も困るだろうと思ったから。
それからだ。彼女が頻繁にリオの屋敷に出入りするようになったのは。
彼女はキンブリーズ家の令嬢ネージュと名乗った。
その、どこか媚びるような上目遣いで見上げる彼女の仕草が気になったが、放っておいた。
どうせリオにそんな目を向けたって何の得もないと思っていたのだから。
理由が分かったのは、陛下が「エトワールを手に入れた者をフラスコ家の後継として推す」 と言った日の夜だった。
「ビットーリオ」
めったにこちらの屋敷に顔を出さない父グラエスが、人目を避けるように訪れた深夜、リオは部屋に呼ばれた。
「私はフラスコ家の当主という立場上、お前の手助けは出来んが・・・・・・必ずエトワールを手に入れるのだ」
グラエスはリオと目を合わさないようにしながら難しい顔でそう言った。
一瞬、何のことか分からなかった。
グラエスならフラスコ家のために、魔力のない息子に辞退を促すだろうと思っていたからだ。
しかしリオの困惑にも構わずグラエスは続けた。
「お前は確かに魔力のないできそこないだ。しかし、剣だけなら陛下も御認めなさっている。
だから、いい機会だ。エトワールを見つけてみせろ」
「父上、その言葉は私ではなくヴィスヴィルに言ってやったらどうです?」
なぜリオを後継にするようなことを口に出したのか理解できなかった彼は父が人違いをしているのだと思った。
「ふん。なぜワシがあんな粗野で思考力のカケラもない男に後を継がせねばならん?」
「え・・・・・・?」
大きな魔力を持つヴィスヴィルをグラエスは気にいっていたのではなかったのか?
リオは不思議に思い顔をあげた。
そこには、これまで見たことのない心底蔑んだような、嫌悪感たっぷりの表情を浮かべた父の顔があった。
それから一瞬悲しそうに顔をゆがめたのち、彼は見下した目つきでリオに言った。
「お前は、魔力のないできそこないだ。多少剣の腕が立つと言っても、それは魔剣のおかげに他ならない。
もっと確かな、本当の自分の力を手にいれてみろ!」
その顔を見ていたら思いだした。
白の魔剣と呼ばれる母の形見を受け取った時のことを。
あの時もこの顔つきで言われたのだ。
「このできそこないめ。せめて剣くらい使えるようになってみろ!」
そうして床に剣を投げつけられた。
あの見下した父の目が悔しくて死に物狂いで剣の練習をしたが・・・・・・もしかして、父を誤解していたのかもしれない。
今まで嫌われていると思っていたが、真実はそうでないのかもしれない。
「それと」
考えごとをしていたリオの上に再度グラエスの言葉が投げつけられる。
「キンブリーズの娘には気をつけることだ。あそこの当主め、どうやらワシの腹の内を嗅ぎつけているふしがある」
「はい・・・・・・」
ワシの腹の内、それはおそらくグラエスが本当はリオを後継に望んでいることをネージュの父が知っているということなのだろう。
リオはそれに察しをつけるとうなずいた。
なんとなく、ついさっき知ってしまったグラエスの本心を、自分の父を通して以前から知っていたからこそネージュは接触を図ってきたのだろうか?
いや、そうに違いない。
幼いころから誰にも守ってもらえない厳しい環境にいたリオには、それが十分すぎるほどに理解できた。
醜い権力争いや、足の引っ張り合い。
力ある者には積極的に取り入り、力ない者には蔑みを向ける。それが貴族の世界なのだから。
「──というわけで、陛下のお気に入りであるルネさんを取り込んでおいた方がいいと思いますの」
出発の日も手段もすべて勝手に決めてしまったネージュは、そう言って用意した馬車にリオと、そしてルネを引っ張り込んだ。
リオとしてはそれを許可した覚えも了承した覚えもないのだが、ネージュが面倒ごとを引き受けてくれたのだと思うことにして放っておいた。
なぜならリオは、そういう計算高い貴族の女の処世術を心底馬鹿にしていたのだから。
それがいけなかったのか、ネージュはまるで婚約者であるかのように振舞った。
さすがに、狭い馬車の中で膝に乗られたときはびっくりしたが、幸い同乗していたルネは気づいていないようで助かった。
おそらくネージュは、リオがフラスコ家の後継者の地位を手にいれることを信じて先物買いをしているつもりなのだろう。
だが、それはリオにしたって大して変わりがないのだ。
勝手に勘違いしている女を利用しているのだから。
俺が先に目をつけた女なのに!
ヴィスヴィルはメイドからの報告を受けると同時に目の前の椅子を蹴った。
いつもだ! いつも、いつも。
アイツは何の努力もせずに後から来て俺の欲しい物を取っていく。
魔力のない無能のくせに。
フラスコ家当主の地位だって、欲しくて、現当主に認められようと何度も力を見せた。
アイツがいる時は特に、見せつけるように大きな魔力を強調するように。
それなのに、何度自分の力を示してみせても当主はその後継に選んでくれようとはしなかった。
──早すぎる。
そのひと言だけで。
それにっ。
あの女だって、好きになったのは俺が先だ。
だから何度も何度も彼女の父親に結婚を申し込んだ。
それも、答えはいつも決まって──早すぎる、だ。
まったく、爺どもは呑気でいけない。
俺は魔力だって強いからフラスコ家の後継者になって当たり前なのに。
フラスコ家といえば、魔界ナンバー3の実力を持つ家だ。
そんな家の次期当主の妻になれるのだから、彼女だって嬉しいに決まってる。
父親が彼女を渡さないならば、多少強引でも力ずくで・・・・・・。
彼女だって相手が高い地位を持つ男ならば否やはないはずだ。
それなのになぜ・・・・・・。
「なんでエトワールを捜すのにアイツは彼女を連れて行った?」
そこまでして俺の欲しい物を奪いたいのか?
あんなに力の差を見せてやったのに!
イライラとしてうなり声をあげながら、ヴィスヴィルは部屋の中をクマのようにグルグルと歩き出す。
「お前、彼女を手に入れたいのかえ?」
「だ、誰だ?」
いつの間にか情報をもたらしたメイドが消えて自分ひとりしかいない部屋を見回し、ヴィスヴィルは叫んだ。
確かに今、声が聞こえた。聞こえたのだ。
それなのに部屋には誰もいない・・・・・・。
気のせいだったのだろうか?
そう思った途端、それが気のせいなんかじゃないとヴィスヴィルは気づいた。
なぜなら・・・・・・彼の目の前に黒い風が舞い、それが見る間に人の形を作っていったからだ。
「お、お前は・・・・・・」
そこには、蒼い髪を風になびかせた人形のように無表情の女が立っていた。