すべては、あなたのために・・・・・・

   序章 ー1ー

「よし、これで終了」
ファンは独り言を言いながら広い干し場から最後のかごを持って歩き出した。
「ねぇねぇ、聞いた? 今度の遠征隊の話。イルザスの末王子を捕虜にしたんだって。
捕まえたのはもちろんアレイサー様。
彼ってすてきよねぇ。アルトリカ様はやっぱり彼をお選びになるのかしら?」
重い洗濯籠を持ち、ゆっくりと歩くファンに向かってリスがうっとりとした表情で話しを始めた。
こうなるとリスは自分の話しに夢中になり、長いのだ。

「アルトリカ様が誰を選ぶのか、私には分からないなあ」
「あら、ファンも聞いてないの?」
「うん」
私には関係ないことだもの。そう言ってファンはリスに笑いかけると洗濯籠を持ち直し1人でリネン室へ入っていった。

「あれから1年か・・・・・・」
ふと、そんな呟きがファンの口から漏れた。
ファンがこの国へ来てから1年。
元の世界に帰る方法も分からぬまま、もう1年も経ってしまっているのだ。

思い返せばファンの不幸は母とも慕っていたエリーズが亡くなった時から始まっていたのだ。
エリーズ・オブライエンは、ファンの両親の親友であった。
その縁で幼いころ両親をいっぺんに亡くし天涯孤独になったファンを引き取ってくれたのが、エリーズであった。
当時のエリーズは小さな会社を経営していたが、ファンを引き取ったころから少しずつその会社は大きくなり始めた。
そして10年後、ファンが17歳になったころにはムント国で有数の大企業へと成長していた。
ファンはそんなオブライエン家にただで置いてもらっている自分の立場に引け目を感じ、エリーズの屋敷で働くことにした。
エリーズは、そんなことをしなくてもあなたはいいのよと言ってくれたけれど。
それでもけじめだから・・・・・・そう言って自ら進んで使用人服に身を包んだのはファンだった。
しかしそんなことをしなければ、もっと早くあの家から出ていれば良かったのだ。
そうすればこんな・・・・・・300年も前の世界へ迷い込むこともなかったのだから。

この世界に来てしまったのは、ムントの召喚魔法のせいだった。
300年前のムント国では、現代では廃れてしまった召喚魔法が活発に行われていた。
そして王室は毎年、女神の娘の召喚なんてものをやっていた。
バカバカしいが、これがこの国のもっとも有名な歴史的エピソードの一つである。

そんなもの、実際にうまくいく筈がない。
ただの儀式なんだから。
現代では誰もが召喚魔法なんてものを信じていないが、当時の彼らは信じていたのだろう。
──女神の娘を手にいれた者に世界が味方する──
そんないにしえからの言い伝えを、300年前までは普通にみんな信じていた。
そして、そんな召喚魔法に引き寄せられてしまったのがエリーズの娘、アルトリカであったらしい。

2年前、事故で急にエリーズが亡くなった後、本当の使用人として扱われるようになったファンはアルトリカに付かされることが多かった。
気位が高くわがままなアルトリカを、他の使用人の誰もが嫌がったからである。
「私は一生、ただの使用人で終わるのかしら?」
自分でそれを望んだくせに、自ら進んで使用人となったくせに。
ファンはそう呟かずにはいられなかった。
エリーズが亡くなった後、彼女が築いた会社が急速に傾いていくのを目の当たりにしながら。
そうして、いつものようにアルトリカに付いていたファンは彼女と共に300年前のこの世界へとタイムスリップしてしまったのだ。


10/02/22


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