あたたかいイルザスに比べると、この辺りの夜の冷え込みは厳しい。
さすような空気の中、一向は走った。
夜陰に紛れるように黒い布を頭からかぶり、王家の森を抜けるべく。
「この先です。馬を三頭用意しておりますので」
先頭を行く背の高い男が、すぐ後ろを走る人物を気遣うように振り返った。
一行は3人。
縦一列に並んで、物音をできるだけ立てないように細心の注意を払っていた。
先頭は背の高い男、一番後ろは布で姿を隠してはいるが女のようだった。
「待て」
真ん中を走る男は馬と聞いて立ち止まった。
先ほどからずっと変な違和感を感じ、辺りをきょろきょろと伺っていたのだ。
何がおかしいと言うわけではないが、落ち着かない。
妙な胸騒ぎがして。
しかし、その正体に気づいた。
(そうだ・・・・・・馬だ)
「アラント、引き返すぞ。そっちはダメだ」
彼は前を走る男を呼びとめた。
もっと早く気づくべきだったのだ。
馬の立てる物音が全く聞こえないということに。
いや、馬だけではない。夜の獣の気配すら全く感じないのだ。
しかし、彼は気づくのが遅すぎた。
アラントを引きとめ反転しようとしたその時に、楽しそうな声が降ってきたのだから。
「困りますな。帰国の許可を出した覚えはないぞ。イルザスの末王子、ディルバルト殿?」
「アレイサー・・・・・・」
(やはり、思った通りだったか)
ディルはちっと舌打ちし、勝ち誇った表情で目の前に立ちふさがる男をにらみつけた。
「残念だったな。当てが外れて」
そう言ってニヤリと口の端を引き上げた男の後ろに見知った顔を見つけたのだろう。
アラントがはっと息を呑む気配がした。
「ディル様、申し訳ございません。アレイサーの後ろにいる男が、告げ口をしたようです・・・・・・。
あんな男を信じたばっかりに、私は──」
「もうよい」
これが最初で最後のチャンスだったのだ。
この機会を逃せば、あとは死を待つのみだと分かっていたのに。
アラントは悔しそうに拳を強く握った。
「アラント、自分を責めるな。お前はよくやってくれた。
俺に運がなかっただけだ」
アレイサーの号令とともに、彼が率いてきた兵士たちが剣を向け3人に近づく。
ここまでか。ディルは覚悟を決め、体の力を抜いた。
と、その時だった。
轟音と共に大量の木々が山の上から彼らの元へなだれ込んできたのは。
それと同時にディルは小柄な手に自分の手を強く引っ張られた。
「こっちよ。早く!」
転がり落ちる木々を呆然と見ていたディルはその声にはっとして、手を引かれるままに走り出した。
どうやら声の主が女だということだけは分かる。
何の意図があってこの女は自分を逃がそうとするのか? ディルは不思議に思った。
しかし、それをこんなところで言いあっている場合ではないし、どの道このままでは助からぬことは分かっていた。
ならば──。
(今はこの女に俺の命を賭けてみるしかない!)
ディルはそう思った。
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