すべては、あなたのために・・・・・・

   第1章 シークレットアイズ   ー4ー

「ファターリア・イルザリア、ファンで結構よ。ここで言い争っていても仕方ないと思うけど?」
ファンは喉元に押し付けられた剣を無視し、わざとつんと澄ましたなんでもない様子で本名を名乗った。
「お前、俺が誰なのか知っていて名乗ったのか?」
自分から、あえて本名を名乗ったファンに、目の前の男は目を見開いた。
そしてファンを見つめ、再度確認するように問うた。

「知ってるわ」
(そんなこと分かってて、それでも私はあなたを助けようとしているのよ!)
心の中でファンは苛立ちを露わに舌打ちすると、思わず眉間にしわを寄せてディルを見返した。

イルザスの王族に本名を名乗るということ、それは、名を預け一生の忠誠を誓うのと同等の意味がある。
だから、イルザスの王家に仕える騎士であってもめったに本名を名乗るものはいないという。
それを知っていて、ファンはあえて本名を名乗ったのだ。彼の運命を変えるために。彼に自分を信じてもらうために。


ディルバルト・イルザスという名は、歴史上ほとんど出てこない。
なぜならその名を持つ人物は、若くして亡くなってしまったからだ。
イルザスの歴史書に書かれた彼に対する記述はたいてい、どれも同じ一文で片付けられている。
──功を焦り最前に飛び出した末王子はムントの王子アレイサーに捕らえられ、処刑された。──
名前だって、辛うじて残っている程度だ。それも、専門書のごく片隅に。

つまり、ディルバルト・イルザスという名の、イルザスの末王子はここで死ぬのだ。確実に。
300年後の世界から無理やり召喚に巻き込まれてここに来たファンならば、そのことを知っていて当然だった。
なぜなら彼女の両親は、イルザスの民を人種差別から開放する活動家だったと同時に、イルザスの歴史学者でもあったのだから。

(確実にここで死ぬと分かっている人物を、歴史を変えてまでも助けようというのだもの。普通の方法じゃダメ。)
彼を助けると決めた時からずっとそのことを考えていて、答えはもう出ていた。
だけどその方法はあまりにも不確かで、加えて普通の人間であればそこを通ることはほぼ不可能である。
おそらくはよほど信用されている人物が導くのでないと聞き入れてもらえないだろう。

(私にも、アルトリカのように人を惹き付ける美しさとか、あれば・・・・・・)
しかし、ディルの目は月明かりに照らされたファンの姿を見ると途端に、ほかの人と同様の色で彼女を捉えた。
その、明らかに失望した態度にファンは落胆した。
(そうよね……こんな平凡な女に何か出来るなんて誰も思わないわよね……)
あらかじめ予想は出来ていた。
だけど、ディルのそんな表情は見たくなかった。

あれだけの輝きを持った人なのだから、もしかしたら分かってくれるのではないか……?
信用して付いてくれるのではないだろうか?
心の片隅で少しだけ期待していたそれは、あっけなく裏切られた。

(バカね。何を期待していたのかしら。私はどう見たってただのチビメガネなんだから)
ファンは自嘲気味に鼻を鳴らした。

(だけど、私に付いてきてもらいたいのに……。どうしたらいいのかしら?)
だんだん大きくなる追っ手の足音にあせり、つい反発した口調でディルを責めた。
「それがこれから助けてもらう者に言う言葉なの?」
(どうしたら信じてくれるの?)

「早くしないと捕まっちゃうわ」
非難するようにディルに言った。
けれどディルは、ファンとはまったく違うことを考えていたようだった。
なぜならひとしきり笑った後、ファンに言ったからだ。帰れ、と。

ファンはあっけに取られた。
自分の命が危ないというのに、この男は他人の心配をするのか……。
こんな人、ほかに知らない。いえ、エリーズ・オブライエン以外には。

この切羽詰った状況で笑い、そして他人の心配をする。
それを見てファンはさっきまでの焦りが消えた。
(大丈夫。何とかなる。彼からあふれる光は少しも色あせていないのだもの)

ディルの肩越しに目をやると、追手がすぐそこまで来ているのが分かった。
彼らの持つランプの灯りが木々の間からちらちらと見える。
けれどファンの心はもう揺らがなかった。
未来を垣間見てしまう自分の瞳を信じて、言い切った。

「無駄よ。明日には町に手配書が回る。あなたたちは一般人に捕まって役人に引き渡されるのよ」
そんなことを見てきたように語れば不振がられるのを知っていて。
思った通り眉をひそめたもう1人の男がファンに詰め寄った。
首筋に剣先を当てられたことは予想外だったけれど、ファンはディルから瞳を逸らさなかった。
ここで信用させなければ、そして自分の言う通りに逃げてもらわねば困るのだ。
そうでなければ、エリーズの遺言も、この光も守れないのだから。

「ファターリア・イルザリア」
ファンはわざとなんでもない様子で本名を名乗った。
イルザス王家の者に名を名乗ることの意味を知っていて。
ファンのいた世界では、もうイルザス王家なんて滅んでどこにもない。
だから、こんな古い習慣はどこにも残っていないし、知っている者だって少ない。
ファンだって、ついさっき思い出したばかりだ。そういえば・・・・・・と。
けれどそんな古い習慣でも300年前の今なら普通にあるんじゃないか、ファンはそう思った。

(やっぱり。本名を名乗ることが王家にとっては重要な位置をしめるのだわ)
ファンはディルの様子からそれを推測した。
本名を名乗れば忠誠を誓うのと同じだという。つまり、一生をこの男に縛られることになるのだ。
けれど、そんなことたいしたことじゃない。
ディルの、この光を見た時に、ファンは知ってしまったのだから。自分が何をすべきなのかを。


10/04/14


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