すべては、あなたのために・・・・・・

   第1章 シークレットアイズ   ー6ー

「あの王子に逃げられたそうではないか」
アルトリカがムントの女神に祈りを奉げていると、後ろでラパフェルの声が聞こえた。
「ふん、どの道助からん。やつら、洞窟へ入っていった」
その声で後ろを振り返らずともアレイサーが来たのだと分かった。
退屈な儀式より彼らの会話を聞いているほうが余程ましだと思ったアルトリカは、そちらに聞き耳を立てた。

アルトリカは1年前に、この世界に召喚されてから毎朝ここで女神に祈りを捧げている。
決まった時間、決まった方法で。
召喚されたときにはなにが起こったのか分からなかったが、このムントの3人の王子に説明を受け、だいたいの事は理解できた。
しかし、理解できたからといって納得しているわけではない。
自分が女神の娘として、この世界に召喚されたことも、ここが300年前の世界であることも、本当なら何一つ受け入れることなどできない。
したくないのだ。

(女神の娘だなんてバカバカしい。そんなもの、いるわけないじゃないの)

未来からやって来たアルトリカにはそんな迷信を信じているこの国の人間が滑稽に見えた。
それでも彼らに合わせて女神の娘とやらを演じているのは、生きていくためだ。
自分のことを知っている人間が誰もいない世界に、ファンのように一人で投げ出されたくない。
城で下女のように働くなんて、そんなことお嬢様育ちのアルトリカには考えられなかった。

なに不自由なく、贅沢に暮らしていた現代に帰りたい。
こんなところで働くなんて真っ平ごめんだ。
そう思っていたアルトリカにとって、女神の娘だと思われていることは都合がよかった。
なぜならこの国でもっとも大切な存在として扱われるからだ。

ただアルトリカは朝と夕の二回、神に祈りを捧げるふりをすればよいのだ。
それだけで彼女はこの時代最上の生活を手に入れられる。

両膝を神殿の大理石の床につき、両手を胸の前で合わせ、女神像の前で目を閉じる。
この姿のまま、意識は先ほどからなされているラパフェルとアレイサーの会話に向かっていた。
「洞窟というと、まさか森の奥のあれか?」
「ああ、還らずの洞窟だ。アルトリカと一緒に来てしまった女も、共に洞窟に入っていった」

「え?」 アルトリカはそれを聞いて思わず立ち上がった。
(どうしてファンが……?)
「アルトリカ、儀式は終わったのですか? 集中してもらわねば、困りますよ」
彼女が自分たちの会話に耳をそばだてていたと知ったラパフェルは眉をしかめた。
しかし、アルトリカには彼の表情など目に入っていなかった。

ファンは、アルトリカが女神の娘として召喚されたときに一緒に来てしまった人物だった。
彼女の両親は、人種解放活動の首謀者だったと聞く。
人種開放ってなんだろう? 幼いころに、その話を聞いたアルトリカはそれが何なのか分からなかった。
まだ、差別なんて言葉を知らぬ少女だった頃には、よくファンとも仲良く遊んだ記憶が残っている。
アルトリカの祖母とファンの両親が、仲がよかったからだ。

けれど、大きくなって知ってしまった。
アルトリカはムント人、ファンはイルザス人ということを──。

それを知ったのは、皮肉にも彼女の両親が事故で死んだときだった。
「ふん、イルザス人が生意気に開放なんて言っているからだ」
アルトリカの父親が、エリーズに抱きしめられているファンを見下し、言い放ったその言葉によって。

ムント人とイルザス人、この二つの人種の間には、根深い差別意識が残っている。
今でこそ平等を謳っているが、つい100年前まで、イルザス人はムント人の奴隷だった。
奴隷──それを聞いた途端、急にファンが汚らしい者のように思えて、アルトリカは我慢ならなかった。

どうしてお婆様はそんな者を大事そうに抱きしめるの?
引き取るって、なんで?
ファンは私たちとは違うのに、なんで同じように扱うの?
同じ屋敷に住むだなんて、許せない。

だから祖母が死んで後に彼女が、使用人で構わない──そう言った時、思ったのだ。
これでやっと“普通”になる。

もともとエリーズ以外に彼女を可愛がっていた人間などいない。
そのエリーズが亡くなって、彼女が使用人になったところで、誰も咎める者などいやしない。
アルトリカは嬉々として彼女を使った。
その立場をしっかりと分からせるために。
ファンは地べたを這い回る奴隷なのだ。

それはこの世界に来てからも変わらなかった。
アルトリカは至高の女神の娘、ファンは取るに足らない下働き。
このままこの差は埋まることはない。
そう思っていたのに、彼女はここから逃げた・・・・・・アルトリカを置いて逃げたと、アレイサーはそう言ったのだ。

途端、アルトリカは怖くなった。
ここに1人取り残されたからではない。
あの時のように、またアルトリカの前に立ち塞がる者として帰ってくる気がしたからだ。
エリーズの愛情をすべて持っていってしまった、あの時のファンと同じように。
だから叫んだ。

「ファンがそんなことで死ぬわけない! 彼女ならあんな洞窟くらい簡単に抜けられるに決まってるわ」

そういえば王子たちはアルトリカの前に彼女を引っ張って帰ってくると思った。
泥だらけの姿で引きずり出される彼女を見れば、不安なんて吹き飛ぶと思った。
しかし、王子たちの反応は違った。

「何? あの洞窟を抜けるだと! そんなことができるならば・・・・・・。
もしそんな力があるとすれば、お前でなくあの女が真実の女神の娘だと言うことになるが?」
細められた目でじっと自分を見つめるアレイサーの視線に、アルトリカは震えた。
もしここで、自分が女神の娘なんて者ではないことが知れれば、命はないのではないか。
よぎった考えに思わずあとずさった。

──死にたくない。

その一心でアルトリカは頭をめぐらせた。
そうだ。自分は未来から来たのだ。
この後の歴史を知っている!
瞬間、アルトリカの唇はゆっくりと弧を描いた。


10/06/07


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