すべては、あなたのために・・・・・・

   第1章 シークレットアイズ   ー11ー

 あの話し合いから1週間。
ファンは不安と胸騒ぎで落ち着かない日々をすごしていた。 史実に沿えば、今ごろカントはイルザスとの戦いに破れているはずである。
しかし、イルザスはカントを落とすどころか押されている。

バルディアに配置された、少数精鋭を誇る翡翠騎士団は、長期にわたる戦いには適していない。 その代わり機動力と個人の資質が高い。 史実どおりであるならば、攻め始めて3日でカントは落ちたはずである。
どこかで歴史が変わったのだ。
変えてしまったのは・・・・・・死ぬはずだったディルとサマーリィを助けた自分なのであろうか。
たかが1人2人の命を助けたところで、そう大きく変わる事はないだろう。 そう思っていたが、ここまで変わってしまうとは。

 何が起きているのだろう。
変わった歴史を正そうという強制的な力が働いて、ディルはやっぱり死んでしまうのだろうか?
前線であるカントへ、行きたい。 せっかく助けたあの光が消されるのは嫌だ。やはり何があっても彼に張り付いていれば良かった。
そう思う心と、自分が傍にいても何もすることは出来ないという事実の間でファンは揺れていた。

それに・・・・・・この家の主であるフィリップもどこに行ったのか、まったく姿を見せない。
その代わりストラトからは頻繁にアイリーンに宛てた手紙がやってくるようになった。
手紙は伝書鳩で来ることが多く、アイリーンは鳩がくると慌ててそれをはずして目を通した後決まってため息をつく。
よほど大事な情報らしく、彼女はすぐにそれを燃やしてしまうためファンはそこに何が書かれているのか知らないが、 それがアイリーンを落胆させる内容なのは傍目にも明らかだった。

いつものようにくるると鳴く鳩の声、アイリーンの足音、そして・・・・・・。 ガタンと何かが押し倒される音。
「アイリーン?」
なにごとかと、事務室に顔を覗かせるとファンはそこに走り寄った。
「アイリーン、アイリーン?」
彼女の名を連呼すると、微かにまぶたが動いた。
手には例の手紙がある・・・・・・。

「ファン! どうしよう。どうしたらいいの? そうだわ。砂漠に・・・・・・。カミュールに連絡をしないと。ああ、でもあの子はダメだわ」
アイリーンの身体を起こしたと同時に首にしがみつかれ、ファンはよろけた。
その間も取り乱した様子のアイリーンはわけの分からないことを喋りつづける。
「落ち着いて。アイリーン。どうしたの?」
彼女の背をさすりながら、ファンは根気強くアイリーンをなだめた。

「これを見て」
アイリーンは手の中にあったものをファンに見せた。
それは、件の手紙である。
躊躇いつつもそれを手にしたファンは、すばやく目を通す。 そこには書かれた文字は簡潔。
── 一週間後の処刑が決まった ──
 とのみ書かれてあった。

「処刑?」

──誰が、どこで、なぜ?
眉をしかめアイリーンに目をやると、彼女は虚ろな眼差しのままファンにつめよった。
「ねえファン。王子殿下も姫殿下もムントから助けたんでしょ? お願い、あの人も助けて・・・・・・」
縋り付くその様子を見て、ファンは戸惑った。
ほとんど留守のフィリップに代わり、この大きな商家を支えてきたのはアイリーンで、ファンとしてみれば彼女はとてもしっかりとした気丈な人物のはずであった。
その彼女がこんな姿を晒して頼むのだ。できれば助けたい。
しかし・・・・・・。

「助けるって、処刑って? フィリップさんを? 何が起きたの?」

理由は分からないが、誰かが──たぶんフィリップが──どこかに──おそらくストラトの担当するムントに──捕まったのだろう。しかも処刑が1週間後らしい。
・・・・・・無理だ! 助けられるはずがない。
ディルを助けたあの時とは勝手が違うのだ。
思わず目をそらしたが、アイリーンは気づかない。
それどころか取り乱した気持ちのまま、ファンの了承も得ずに旅の支度を始めだした。
「手紙は2日前に出されたものよ。あの人が捕らえられている場所はカントだから、馬をとばせばまだ間に合うわ」

てきぱきと荷物を詰め込みながら、アイリーンは言葉を続けた。
何かをしていないと不安。その気持ちはファンにもよく分かる。分かるのだが・・・・・・。
「着いたらストラトに迎えに行かせるわ。彼はムントの担当だから」
「待って! アイリーン、落ち着いて」
「お願い、行ってくれるわよね? うんと言って!」
すごい力で肩をつかみ目を血走らせたアイリーンはファンに詰め寄るが、肝心なことを忘れている。

「たしかに馬をとばせば3日でカントには着くわ。だけど・・・・・・私は馬に乗れない」
動物と意思の疎通を図るのに力を使えば、馬に乗ることができるだろう。
しかし、馬に乗ったことが一度もないファンでは、乗れたとしてもそんなに早くは馬を走らせることができない。

「俺がついて行こう」

ファンの言葉にアイリーンが我に返ったとき、見つめ合う二人の後ろから凛とした男の声が聞こえた。
「カミュール!」
「母さん、久しぶり」

カミュールと呼ばれたその男は、肩まである銀髪をひとつに結びはっきりした目鼻立ちの顔で柔らかく微笑んだ。
彼はファンがこの家に来てから一年、一度も顔を見たことのない彼らの息子だった。
「カミュールさん?」
「嫌だなあ。兄と呼んでくれないかい」

整った顔立ちに肉食獣を思わせる笑みを浮かべる彼は、躊躇いなく奥の部屋へファンを引き入れた。
奥、そう呼ばれるこの部屋にファンが入ったのはこれが始めてである。
アイリーンとカミュールの座るその席に、始めてファンは同席した。
部屋には装飾の類は何もなく、ただ中央に大きなテーブルいっぱいに地図が広がるだけだった。

地図にはイルザスの城と各町の配置、それにムントの町、それから・・・・・・砂漠のオアシスであるキガス、イプス、ファミルの位置まで書かれていた。
それはいくら大きいとはいえ、一介の商家が持つには不釣合いな情報量。
まるで王が戦争をする際に使うかのような、綿密な地図だった。
おそらく、この時代のどこを探してもこれだけ精巧な地図はないだろう。
ファンでさえそのできばえに目を見張った。


10/06/30


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