「ディル?」
アレイサーに追い詰められて入った地下牢で彼は懐かしい声を聞いた。
彼女、ファンも懐かしいと思ったのは同じだったみたいで、何か言おうとしたようだ。
しかしその気安げな態度を快く思わなかったガーラに怒鳴られ、そのまま黙ってしまった。
それにしても、なぜファンがこんな敵地の牢の中にいるのだろうか?
自分を逃がした罪で捕らえられているのかと思ったが、どうもそれとは様子が違うようだった。
ファンの背には中年の男性が負ぶさっており、少し焦っているように見える。
しかし、今はそんなことを気にしている場合ではない。後ろからは自分を追ってアレイサーが部下と共にやって来ていたからだ。
「ちっ、なんてタイミングだ」
その声でファンにはもう1人仲間がいることが分かった。どういう男なのだろうか? 見たところイルザス人とは微妙に違う見た目。
白い肌はイルザスを指すものだが、髪の色は・・・・・・砂漠の民に似た銀髪。目は暗くてよく分からなかった。
その時、ファンの背負う男が微かにうめき声を上げ、意識を取り戻した。そうだ。あの男は見たことがある。
ディルは記憶をたどり、男の名を思い出した。・・・・・・たしか、ショルトーの主人。
そういえば、1年前に洞窟を出てすぐ気を失ったファンを預けた商家がショルトーだったか。
彼にはサライシャーマ暗殺の容疑がかけられている。
カント側では、彼はイルザスの間者だと思われているらしく拷問の後に処刑されるようだった。
しかし、ただの商人であるショルトーになど、誰もそんなことを頼んだりしない。
だから不思議だったのだ。何故彼がサライシャーマを暗殺しようと思ったのか。
そんなことを朧げに思い出しているとき、冷たい声が牢に響き、一先ずそれは後で考えようとアレイサーに向き直った。
ここで捕まるわけにはいなかない。それでは何のために危険を犯してカントに潜入したのか分からなくなる。
しかし、逃げ道もないこんな地下牢からどうやったら逃げられるのか・・・・・・。
ディルは薄暗い牢の中を見渡した。
アレイサーは頭がよく、豊富な知識を持つ。そして男でも見惚れる端正な顔立ちは一見、傲慢とも思えるほどだ。
しかし、氷の人形と呼ばれており、その冷静さは人の心を持たぬ人形のようだと言われている。
そんな男に捕まれば今度こそ命はないだろう。なんとかここを切り抜けねば。
ディルは覚悟を決め、剣を抜き放った。
目の前の衛士を倒してアレイサーの後ろにある扉から外に出るしかないか?
そう思ったディルの横から、銀髪の男が声をかけた。
「おい、隙を見て逃げるぞ。お前たちも助かりたかったら付いてくるんだな」
小さな声でされた会話は不遜なもので、自分のことを王子だと知っているのか気になったが、今はそんなことを気にしている場合ではないと頷いた。
同時に、男の言葉遣いにまた怒鳴ってくれるなよと心配したガーラも、どうやらここで大声を出すのは得策ではないと思ったのだろう。
何も言わずに従ってくれそうだとディルはこっそりと胸をなでおろした。
その後何度か衛士たちと剣を交え、数人を倒したところで例の男が目配せをした。
男はショルトーと同じで商人の格好をしていたが、どうやら戦い慣れているようだった。
タイミングをみていたのだろう。ふいに、「後ろに下がれ!」 と言われたと同時に爆発音が牢いっぱいに響いた。
すんでのところでその爆発から逃れたディルは、辺りを見回した。
爆発のせいで大量の土煙に覆われよく見えないが、天井が崩れていて前には進めそうもない。
どうやってここから出たらいいのか・・・・・・。
途方にくれてしばらくぼぅっと立っていると、「こっちだ。置いていくぞ?」 とイライラした男の声と共に腕を掴まれた。
男はこの隙に逃げようと思っていたのになかなか自分について来ようとしない2人にいらいらして呼びに来たようだった。
「悪いな」
ディルは苦笑混じりにそういうと、男に付いて地下牢の奥に作られた道へと入っていった。
造りからみて、おそらく黒装束が見つけた井戸の地下道と同じモノなのだろう。
こんなところにも通じていたのか・・・・・・。そう思いながらもなぜこの道を知っていたのか気になり、男に問う。
「この道は?」
「さぁ?」
「貴様、知らぬこととはいえ無礼であろう? こちらはイルザスの末王子ディルバルト殿下であるぞ」
身分を知ってか知らずか、一向に変わる様子のない男の態度に今度こそガーラは声を荒げた。
しかし男は悪びれた様子もなく、顔を真っ赤にするガーラを鼻で笑った。
「貴様! 許せぬ。今すぐ手打ちにしてくれる」
そう言われても平然としている男の態度が気に入らなかったのだろう。ガーラはディルの制止も無視して剣に手をかけた。
「ふーん。状況分かってるの? 俺を殺したらあんたたちはここから抜け出せない。アンタがなんであろうと、うちの妹は二度とアンタを助けないぜ」
「あんな小娘などに何度も助けられてたまるか!」
「俺としてはそうしてもらえると助かるんだがな。なにしろ妹は・・・・・・っと、これ以上は今は言えないんだった」
侮蔑の混じったその態度に、ガーラは怒りで身体を振るわせた
──しかし、ディルは分かってしまった。
最初は、男がガーラに対して腹を立てているのだろうと思った。
身分を嵩に着た態度が許せないというのは一般的な感情として理解できるからだ。
しかしそうではない。男の話を聞いているうちにディルはなんとなく理解していた。
──この男は、俺のことを嫌っているのだ。
理由は分からないが、ファンが自分を助けることを善しとしていないのだ。
それは男の態度にありありと現れていた。
彼の妹が、ファンが一体なんだと言うのだ?
これからも自分は何度も彼女に助けられるだろうと、当たり前のように言う男にディルは疑問を持った。
しかしこの疑問を男に問いただすことはできなかった。
先に逃げたはずのファンが、自分たちを心配して帰ってきたからだ。
その後、問題なく地下道からは抜け出すことができたが、さっき浮かんだ疑問に答えは出なかった。
いくらみてもファンはどこにでもいる、それこそチビメガネだからだ。
陣に帰ってもディルの頭は大半がその疑問で埋め尽くされていた。
「なにしろ妹は・・・・・・」 そのあとあの男、カミュールは何を言いたかったのか?
ファンに一体なにがあるのだろうか?
そのおかげで目の前で繰り広げられていたやり取りなど、ほとんど耳に入っていなかった。
フィリップが人のいい笑顔を浮かべて、顔を覗きこんでくるまでは。
「うちの娘は剣はからっきしなんだけど、敵の弱点を見抜くのは得意なんだ。
早くカントを攻め落として欲しいし、騙されたと思ってファンに意見を聞いたらどうかなあ?
一気に敵を蹴散らすポイント、見つかると思うよ」
「な、ななな、なにアホなこと言ってんの?! そんな弱点なんて、ディル・・・・・・殿下でも分かってるに決まってるじゃない!
わざわざ私が教えるまでもないって。父さん、そういうこと言うの、ホントやめて」
深く考え事をしていたにもかかわらず、彼らのやり取りの真意にディルはすぐ気が付いた。
しかし、そんなことがあるはずもないと思ったのもまた事実で・・・・・・。
「敵の指揮を執っているのはアレイサーだ。やつが、ちょっと見たくらいで分かるような尻尾を見せるわけがない。
だから攻めあぐねているのだ」
馬鹿げた考えを打ち消し、眉をゆがめた。──ちょっと見ただけで分かるなんて、そんな都合のいい話があるはずはない。
しかし・・・・・・。
一瞬ありえないモノを見たかのような、ファンの表情。分からないのかという失望。そして決意。
「殿下、あそこを──」
今、戦っている場所のある一点を指差した、その場所。
言われてみれば何となくそうかもしれないと思いはすれど、確実にそうなのだとは言いきれない場所・・・・・・。
それでも試してみる価値はあると思った。
そうすればカミュールの言った言葉の答えも見つかるかも知れない。
そう思ったら動いていた。自分が軽率な行動を控えなければならない身分だと言うことは理解していた。
しかし、それ以上に強い好奇心がディルを支配していたのだ。
必死に止めようとするガーラの姿が見えたが、構っていられなかった。
思ったことはすぐに実行しなければ気が済まないのだ。
「ああ、もう・・・・・・やだ」
情けないファンの声が聞こえたときにはすでに彼女を無理にガーラの腕から奪い、馬に乗って駆けだした後で、
久しぶりに彼に逆らった開放感と、根拠のないワクワク感で高揚していた。
「一気に蹴散らすぞ!」
不安定な馬上で、落ちないようにとメガネを仕舞ったのだろう。
初めて見た彼女の瞳の不思議な輝きと、まっすぐな光に何故かディルは勝利を確信し、声で叫んだ。
その声は周りの士気を高め、一気に兵はファンの示す弱点を攻めた。
その後も次々と彼女が指差すほうへ兵を向け・・・・・・気づいたときには圧倒的な勝利で戦争は終わっていた。
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