カントは国境に面した町だからだろうか。店で売っているものは装飾品の類より、圧倒的に実用性の高い武器や防具の店が多いように見える。
フィリップおススメなんていう怪しい冠詞のついた宿屋に来る道すがらファンはぼんやりと町並みを見つめ思った。
しかし、宿について早々に部屋にファンを引き入れた父の様子から察するに、
ここには休憩に来たわけではないのだろう。そう思うといったんカントの町並みの事を考えるのをやめて、椅子に腰掛けると父が話を切り出すのを待った。
町の入り口ですでに兵士たちとは分かれており、この宿屋にはファンと父2人きりでやってきた。
本来ならディルと一緒の馬に乗り前線で采配を振るったファンもディルに付いて城に行くべきだったろうが、父はファンの代わりに兄を彼らに同行させた。
こうまでしてファンと話をしようと言うのだ。何か重要なことに違いない。伺うようにこちらを見つめる父が口を開くのをファンは静かに待った。
「お兄ちゃんにはどこまで聞いたのかな?」
「お・・・・・・お兄ちゃん・・・・・・」
瞬間、何かを企んでいる時の恐ろしいほどのカミュールの笑顔が目の前をよぎり、ファンは即座にそれをかき消した。
お兄ちゃんなんて、あれはチャンをつけて呼ぶようなそんな存在じゃないだろう! 口の端をひくつかせ首を振った。
「あれ? ここまで来る間に何も聞いてなかったのかい?」
首を振ったファンの態度を誤解したフィリップはそう言って首をかしげたが、
案外誤解ではないのかもしれないと思いなおしたファンはそのまま彼の言葉を否定せずに次を待つ。
「でもファンはもしかして、もう察しているのかもしれないね?」
「父さんが何か私に言いたいことがあるのは。でもそれ以外は・・・・・・」
おそらく父は、兄が言ったのと同じ事を言いたいのだろう。
なんとなく分かったけれど、ファンはそれを父の口からはっきりとした言葉で聞きたかったためそう言った。
「そうかい。──実は、お父さんたちは、知ってるんだよ。ファンに特別な力があることをね」
父は言葉を選ぶように、ぼそりと話し始めた。
それは長い話で、全部聞くまでにファンは父のカップにお茶を3回も注ぎなおさねばならないほどだった。
「ファンは隠そうと思ってたみたいだけどね、亡くなったフローフルも同じ力を持ってたから・・・・・・すぐ分かったよ。
その力はお兄ちゃんも知っていてね。だからお父さんを助けようとしたとき、ファンを連れてきたのかもしれないね」
「うん・・・・・・兄さんには、亡くなったフローフルの代わりに私の力を貸せって言われた」
「それは、悪かったね。ほかには?」
父に促され、ファンは首を振った。ほかには何も聞いていない。なんにも!
父や兄が普段どんな仕事をしているのかも、ショルトーは本当にただの商人集団なのかも。
それになぜ、ショルトーの商人集団がイルザスやムントの王室にも引けをとらないほどの情報網を持っているのか。
以前から不自然だと思っていたのだ。商業活動を行うだけにしては、身のこなしが戦いなれている者がいたり、気配の読めないものがいたり・・・・・・。
しかしその疑問のどれの答えも兄は教えてはくれなかった。
「ふむ、じゃあファンも知りたいだろうからお父さんが少し説明してあげよう。
ああっとその前に、昨日は悪かったね。少しファンの力を試させてもらったよ。どのくらいの力を持っているのか分からなかったからね。
味方の力を把握しておくこともリーダーの重要な仕事の一つだからね」
「リーダー?」
「・・・・・・そう、巷では『紅の狼』なんて呼ばれていたか。お父さんはそこのリーダーなんだよ」
「はぁ? 紅の狼?」
思わぬ名が出てファンは目を丸くした。紅の狼とはここ何年かで大きくなったという砂漠に根城を構える盗賊団の名である。
砂の上を船で巧みに移動し、ムント・イルザスを問わず砂漠を横切る者から金品を根こそぎ奪うと聞いている。
その名に驚いたファンの顔を見て父は苦笑しながら続けた。
「その様子だと、紅の狼の悪評をかなり聞いているみたいだね」
「えぇっと・・・・・・」
なぜか少しだけ楽しそうに話す父の視線に耐え切れず、目を逸らしたファンは口ごもる。
「我ら砂漠の民はムントとイルザスに国土を奪われる前、この地を支配していた一族なんだ。
2つの国ははるか北から豊かなこの地を奪うためにやってきた。
それまで平和で戦争なんかやった事もなかった我々に、当時それを撃退する力なんかなかった。
豊かな地を奪われた我らには、この砂漠に逃れるしか生きていく方法はなかった。
それが300年前。その時から、我らの悲願は再びあの地を奪還する事なんだよ。
だけど、年が経つにつれて同胞は少しずつムントやイルザスの民に同化し・・・・・・今では紅の狼と呼ばれる、盗賊集団を保つのがやっとの数にまで減ってしまった。
おそらく、私とカミュールのいる今の代が最後のチャンスなんだろうね。我らの悲願を叶える」
何を言い出すのかと思えば、父は今まで見たこともないまじめな表情で淡々と語りだした。
そのすべてが、ファンの知る歴史とまったく違うものでファンは混乱した。
こんなの知らない! ここはどこ? 私がいた時代から300年前の世界じゃないの?
ファンの知る歴史と知らない歴史。その二つが錯綜した世界にファンは自分の立っている地面が崩れて行きそうな錯覚を覚えた。
「それでね。砂漠の民には代々予言者と呼ばれる者がいる。半分は生まれつきもっている力、もう半分は先代の予言者からの継承によって受け継がれる力。
この二つが揃って初めて予言者は継承される。亡くなった娘フローフルも本来ならば予言者となり、我らに適切な助言を与えてくるはずだったんだ。
しかし、先代の予言者から力を受け継ぐことなく、サマーリィ姫殿下とともにムントの王宮に行った」
続く父の話に耳を傾け、ファンは混乱した頭を整理した。
「それは、兄さんから聞いたわ。そして、サマーリィがムントの国王に逆らって下働きになった後、彼女が・・・・・・」
「そう。フローフルは女神の娘シャライサーマ召喚の生贄にされた。だけど、彼女は自分がそうなる運命だったことを知っていた。
だから最後の力を使ってあの子は、君をこの世に呼んだ。お父さんたちはそれを事前に聞かされていたから、ディルバルト殿下から君を預かった日、ああ、これがフローフルの言っていた娘なんだとすぐに分かったよ。
そうしたら急に嬉しくなってね。フローフルが帰って来たみたいに思ったんだ。たぶん、アイリーンも同じだろう。それで、迷わず君を養女にした」
ファンは淡々と話すフィリップの独白に、ただうなずいた。
「お兄ちゃんが君になんて言ったか知らないけれど、一つだけ誤っておかないといけないね。
生贄にされ、殺されてしまう自分の代わりにフローフルは君を勝手にこの世に呼んだんだから」
え? とフィリップの言葉にファンは声にならず顔をあげ、彼の顔を見た。それでは話が逆ではないか?
アルトリカとおまけの自分を召喚するためにフローフルは生贄になったと聞かされていたけれど、父の話しでは彼女自身がファンを呼んだことになる。
おそらく父の言う事が真実なのだろう。けれどあの兄の事だから、フローフルの命を救う事ができなかったのを気に病んで、それであんな言い方をしたんだろう。
それに、ああ言えば、自分がこれまでかたくなに遠慮して来た父と母に対して、たとえ義務的だとしても親しく接する努力をすると踏んだのだ。
種が分かってしまえばそんなものだ。あの兄らしい。
フローフルが女神召喚の生贄にされたのも、それを避ける事ができなかったのも、彼女が最後の力で自分をこちらに寄越した事も。
すべては起こるべくして起きたのだ。それに・・・・・・。
(私は父さんと母さんの娘にしてもらって、よかった。そう思ってるから)
その言葉を面と向かって、声に出して相手に伝えるなんて事、絶対に出来ないけれど。
ファンはフィリップの目をじっと見つめると、すべてを呑み込み許す、と意を込めて柔らかく微笑んだ。
カントの城下に入り、兵の移動も無事に終わったり、一息ついたディルは傍らに控えるガーラを見てため息をついた。
「ディルバルト殿下、昨日の戦では見事な采配でしたな」
さすがは我が見込んだお方だ、とガーラは何度も上機嫌でディルの後を追って喋り通しだった。
「うるさいぞ、お前は。昨日からそればっかりではないか・・・・・・」
うんざり顔でガーラを見るも、彼はまったく気にしてなさそうで、満足げなその様子にディルはまた一つため息をついた。
だいたい昨日の戦いはディルが采配を振るったわけではないのだ。
あのこう着状態から勝利できたのはすべてファンのおかげだった。
それなのにガーラはまったくそれを信じようとはせず彼女の力を認めない。
しかもディルがファンのおかげだと説明しようとするたびに、彼女の兄から謙遜ともつかぬ否定の言葉が入る。
「父が面白がって殿下を煽っただけですよ。勝てたから良かったものの、我が妹など殿下の前で必死に馬にしがみついていただけ。
本当にお騒がせな父と妹で申し訳ないです」
おかげで手柄はすべてディルのものとなっていた。それだけではない。
今まで面倒だと遠ざけてきたアレが、ファンを自らの馬に乗せたことで視界の端からこちらを伺っているのである。
「失礼いたしますよ、殿下。これはこれは、ガーラ殿もいらっしゃいましたか」
視界の端を動くものの一つが、案内も待たずにやってきたのを知り、ディルは眉間に皺を寄せた。
でっぷりとした腹を苦しそうに揺らし、衛士の制止も聞かず彼の部屋に入ってきたその男はディルのそんな様子にも気づかず、愛想良く挨拶をした。
「これは、カートラス殿。いかがなさいました?
殿下のお部屋にいきなり入ってこられるなど・・・・・・急な御用向きでもございましたかな?」
「ははは、ガーラ殿の心配されるようなことではござらんよ。なに、今日は我が娘を殿下にぜひ紹介させていただきたくてな。
リーフレンシア、来なさい」
そう、つまり面倒ごととは女であり、縁談でもあった。
「殿下はあまり女性はお好きになれぬと聞いていたのですが、なんのなんの。聞いておりますぞ、昨日の件は。
なんでも女性同伴で戦場を駆け抜けたとか。その話を娘にしたら是非とも自分も、とせがまれましてな。
まあ、慣れぬ城での世話係りとでもおぼしになって、気楽におそばに仕えさせてやってくだされ」
「リーフレンシアです。よろしくお願いいたします」
父親の目配せと同時に彼の娘がしずしずと頭を下げた。
それと同時に、退出の機会を伺っていたのかという速さでカミューラが部屋から辞すのが見えた。おそらくは父と妹の元へと帰るのだろう。
そう予想しながら、これから起こる自分の災難が感嘆に予想できて、ディルは去るカミューラの背中を恨めしそうに見つめた。
カートラスはこのカントを守っていたムントの領主の部下であった。しかし昨日、最後の最後に主を裏切ってこちら側に寝返ったのである。
だから、この城について一番よく知る人物であり、それが彼を助長させていた。
この地に詳しいからこそ、民心を得るためにも無碍にできない人物であったからだ。
しかし、これだけはどうしても我慢できなかった。
信の置けぬ者を、しかも女性をそばに置くことはどんなに頼まれようとしたくなかった。
あの時、断りきれなかったことで起きた悲劇を二度と繰り返さないためにも。
「断る。必要ない」
「な?! し、しかし・・・・・・ご覧ください。我が娘の美貌はイルザスにも知れ渡っていると聞いております。
こう言ってはなんですが、昨日の娘とは比較にならぬ美しさだと思いますが?」
「知らぬ! それに私が見たところ、どちらもさほど差はない」
女性をそばに置かなかったことで、ディルは女性嫌いだと今まで思われていた。
そのため、不況を買わぬように遠慮していたこういう輩が、昨日ファンを馬に乗せて戦場を駆け巡ったことで一気に増えたのだ。
──なんだ、女性嫌いだと言う噂はデマか
そう思った者が何人か、自分の売り込み、または娘の売り込みのためにディルの視界の端で蠢いているのだ。
だが・・・・・・今まで同様これからも近くに女性を置く気はない。
それに、人の顔貌における美醜というものが、よく分からないのだ。
興味がないと言ってしまえばそれまでだが、目と鼻と口が適当な場所についていれば、後は名前と同じ人を見分けるためのただの符号ではないか。
そんなもので優劣を競うなどと、バカバカしい。そう思っているからこそ、目の前の女にガーラが感嘆の息をするのも、まったく理解できないのであった。
しかし、同じだと言われた女性は気分を害したようで、声をあらげる。
「お父様、昨日の方ってそんなに美しかったのですか? わたくしと比較できる女がそうそういるとは思えません!」
「そ、それは・・・・・・。わしも見ていないからなんとも言えないが」
「そんなに美しいなら噂になっているはずです! 誰です? 名前を教えてください。誰なんです?」
興奮して詰め寄る娘と、責められてたじたじの父親・・・・・・。
「うるさい! 親子喧嘩ならほかでやれ。昨日の娘は・・・・・・そうだな、チビメガネだ」
これ以上付き合ってられるか。
冷えた目で親子を黙らせると、そのまま思いついたようにそれだけ言いディルはさっさと部屋を出た。
|