ファンを無事に神殿に向かえた夜、カミュールは一人グラスを傾けながら昔のことを思い返していた。
「久しぶりね、兄さん」
「どうしたんだ? お前から俺のところに来るなんて珍しいじゃないか」
「そうね。自己中な兄さんの所になんて、頼まれたって行く気はなかったわよ」
カミュールを兄と呼ぶフローフルは、あの日初めてここにやってきた。
そして、それまで一度だって自分が何をやっているか話したことなどないのに、すべてを知っているのだと彼女はニッコリと笑った。
その彼女の瞳を見た瞬間、カミュールはすべて理解した。なぜこの場所が分かったのか、どうしてここに来たのか、なぜすべて知っているのか。
そんなことを聞くまでもなかった。フローフルのそれは紛れもなく、予言者の瞳だったのだから。
思い返せば昔から彼女は不思議だった。落ち込んでいると決まって兄を慰めるかのように近くに来たり、悩んでいると適切なアドバイスをくれた。
その時はたいして気にも止めなかったが、今のカミュールはその目をよく知っていた。
フローフルの、生まれつきの銀灰色の髪は緩く一つにみつあみしてある。
この髪の色は父から。翡翠色の瞳と白い肌の色は母からの遺伝で、カミュールとフローフルはイルザス人と砂漠の民の混血だった。
しかし、今の彼女はどうだ? すべてを見通すかのように綺麗に澄んだその瞳の色は、老いてめしいた現在のイリューシャと同じ青銀じゃないか。
いつの間に、そんな色に変わっていたのだろうか? そう思うと同時に、しばらく会わないうちに、随分と変わってしまった彼女の雰囲気にカミュールは首を傾げた。
以前はもっと年相応に子どもっぽくてかわいかった。しかし今目の前にいる彼女は、強い目と兄に負けない毒舌を持っていた。
「今日は、逆にこっちからお願い事をもってきたの。一生に一度くらいはかわいい妹のために、頼まれてくれたっていいと思わない?」
「一生一度がこれから先に何回もあるんじゃなければな」
「ないわよ」
「どうだか」
少し険を持った彼女のしゃべり方に調子を狂わされ、いつもよりしゃべりにくい。
「・・・・・・兄さんに妹を紹介しようと思って」
「妹?」
「そう。どうやら私にはあんまり時間が残されていないみたいだから、がんばって探しちゃった。
だけど、兄さんと父さんのために無理やり奪ってくるんだから、かわいがってあげてよ」
「何を言っているのかよく分からないが、思い出せないなら教えてやる。お前に妹なんかいない」
フローフルとの会話はこんな感じでしばらく続いた。それから急に真顔になり、彼女は言った。
「私、たぶん・・・・・・いえ、確実に死ぬの。もうすぐ、それもムントでね。でも悲しまないで大丈夫。
父さんや母さん、それに兄さんがやろうとしていること、私は手伝えないみたいだからどうにかして絶対に彼女を連れてくるわ。
私が死んでちょうど1年後、その子は母さんと父さんの所にやってくるはず。私のわがままで連れてくるんだから、彼女を助けてあげてよね」
「なぜだ? そんな者を連れてこなくても、死ぬと分かった未来を回避することはできないのか?」
「無理。本当は私だって自分で兄さんたちを助けたいわよ。だけど私がどんなに手を加えても、未来はそれしか示さないんだから、諦めるしかないじゃない」
昨日のことのように鮮明に思い出せる、あの会話をフローフルとしたのはいつだったか・・・・・・。
「ずいぶん昔だったように思えるな」
カミュールは自嘲気味にひとりごち、またそっとグラスを傾けた。
「アルトリカ、ここまではすべてお前が予言した通りに事が運んでいるな」
カントからキサズへと撤退する馬車の中でアレイサーは女神の娘に声をかけた。
もともと彼は、女神の娘シャライサーマなどと信じていなかった。
召喚に成功したとはいえ、ただの人間ではないか。
そう思い、シャライサーマの力など期待もしていなかった。
ただ、シャライサーマを手にいれたものが次の王になるという、伝説にかこつけた王位継承争いに勝つためだけにその存在を容認した。
そしてほかの王子がそうするように、あの女に高いドレスや宝石を送り、好きなようにさせてきた。
それがどうだ。
いきなりイルザスがカントを攻めることを予言し、その日時や方法まで特定してくるとは。
信じられなかった。
ただ、それがあまりにも自信満々に見てきたように言うものだから、無視できなかっただけだ。
そしてそこに、自分も連れて行けと彼女はアレイサーに詰め寄った。
その時にはまだ、ただの彼女に対するご機嫌取りの一つだと考えていた。
ここでこの女の機嫌を取っておけば、王位が近くなるかも知れないな、くらいの軽い気持ちで。
それなのに、カントに入り込んだイルザスの密偵を見抜き、彼らの狙いが内と外の両面からの攻撃であることを言い当てた。
さらに、その密偵がどこに火を付けようとしていたかまで看破した時には驚いた。
本当にシャライサーマという存在はいるのか、力は本物だったのか。
その力を信じたからこそ、どこからか入り込んだ暗殺者──本人は商人だと主張していたが──から、彼女の命を守ったのだ。
それがなければ守らなかった。はっきり言ってアレイサーにはシャライサーマという名だけの存在など、不要だったのだ。
シャライサーマが現れなければ、彼こそが王位に一番近いと言われた人物だったのだから。
勝ち誇ったように城壁から遠くに見えるイルザス軍を見下ろし、鼻で笑う彼女にシャライサーマの神聖さは感じられない気もしたが、もう少し生かしておいてやろう。
アレイサーはアルトリカの横顔を見つめ、そう思っていた。
そして、その力を信じたからこそ、二度目のディルバルト本人による奇襲も当ててほしかったと思った。
あの男さえ捕らえてしまえば、イルザスなど畏るるに足りぬ存在なのだ。
1年前、あの男を逃がした事が今さらながら悔やまれてならない。
今回の敗走も相手がディルバルトであったからこそで、1年前に処刑しておけば今ごろ逆にバルディアがムントの物になっていたことだろう。
「それにしても意外だったな。お前を暗殺しようとした者をあのファンが助けに来るとは」
自称商人を名乗る暗殺者の男は何を聞いても飄々とはぐらかし、真意を語ることはなかった。
そんな男をなぜファンが助けに来たのか分からない。
それも、抜け道なんていうものを使って。
どこから情報が漏れたのか分からないが、カントの城から外への抜け道の存在など、アレイサーすら知らなかった。
それを見つけ、あの変な男を助けに来るとは、アルトリカだけでなくファンという女にも何かあるのだろうか?
アレイサーはぼんやりとそんなことを考えていた。
しかし、共に召喚されたというのにアルトリカはファンの話が出たのを快く思わなかったらしい。
アレイサーの意識を自分に引き戻そうと強引に話を変えた。
「カントが敵の手に落ちるのは運命だったのよ。たとえ私の力を持ってしても、変えられなかったことだわ」
しかしもっともな口調で言いながらも、アルトリカの瞳はどことなく嘘でも吐いているかのように揺れていた。
そんな自分の様子をアレイサーが冷たい瞳で捉えるのに耐えられなくなったのだろう。
再び取り繕うように彼女は言葉を重ねた。
「カントが落ちたら、次はすぐにキサズが狙われるわ」
「そんな馬鹿な。カント内部が定まらないうちにあの王子が次を攻めるはずはないだろう。
それに・・・・・・カントより王都に向かってある町は3つ。距離的には変わりがない。どうしてキサズだと分かる?」
「どうしてって、そんなの・・・・・・。神託。そう! 神託があったのよ!」
アレイサーはその答えに眉をしかめた。
──またか。
都合が悪くなるとすぐこれだ。説明がつかない、勘などというもので物事を語られるのはイライラする。
なにごとにも理由があるに決まっている。それを言えないなどということは、アレイサーにとっては許せないことだったのだ。
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