すべては、あなたのために・・・・・・

   第1章 シークレットアイズ   ー25ー

「シェーラァ、いいよぅ」
ファンは怒りに顔を染めるシェーラルールに間延びした声をかけた。 3回目となると、やっぱりそういうことなんだろうな、とマドゥラスのニヤニヤした笑顔を横目で見ながら。

シェーラルールによると、マドゥラスは先代からの力を受け継いでいないファンをイリューシャだと認めていないそうである。 だから碌に荷物検査をすることなくファンに間者のあぶり出しをさせる。 そして、間者の隠し持った武器でファンが死ねばいいと思っているのだそうだ。

それは本当のことなんだろうとファンも思う。最近はメガネをかけていないので、マドゥラスが自分に向ける悪意がよく見えるから。 だけど回数は少ないけれど、こうやって紅の狼の一団に混ざるのだから命のやり取りくらいあると分かっていた。 特にファンの場合はイリューシャとして一団に居るのだから、狙われる率が高いことも当然だと覚悟もしていた。 だからファンはシェーラルールほどマドゥラスに怒りを感じてはいなかった。 言ってしまえば、マドゥラスなどファンにとってはどうでもいい存在だったのである。

しかしイリューシャという存在を熱烈に信奉しているシェーラルールにとってはどうもそうじゃなかったらしい。 1度目のとき、シェーラルールはファンでは抑えきれないほど怒り、2度目で彼に対し明確な殺意のこもった目を向けた。 その時にはさすがのファンでもこのままでは拙いと思った。 なにしろ兄からもシェーラルールに対しては「気を使ってやれ」 と言われているのだ。 なんとかしなければ、これから2国に対して宣戦布告をしようというときになって余計な波紋をおこし兼ねない。

そう思い悩んでいたその矢先の今回のことであった。
この船に乗る前から船長は件のマドゥラスだと分かっていた。そして副官は彼の幼馴染であるカイドゥ。 カイドゥは幼馴染であるから、マドゥラスが再度、間者を通して間接的に自分を狙ったとしてもそれを止めはしないだろう。 マドゥラスが船長と分かった時点でこの船に乗らなければいいのであろうが、これから先ずっとマドゥラスの船を避けていくと言うわけにもいくまい。
ファンはそう思い、予めシェーラルールと打ち合わせた。 だからここまでは計画通りであり、シェーラルールがあそこまで怒る必要はないのだ。

襲われるのも3度目となると、慣れたものである。
ファンには間者が短剣を隠し持っていることも、彼の縄が緩んでいることも分かっていた。 いつものようにマドゥラスの差し金だろう。 彼はこうやってわざと商人たちの荷物検査を甘くして、直接手を汚すことなくファンが間者に殺されるのを待っているのだ。 できればマドゥラスがこんな風に自分の命を狙っているなんてこと、自分たちの勘繰りすぎであってほしかったけれど・・・・・・。 そう思いながらファンは見せつけるように自らの姿を晒した。

ここからは計画通り。マドゥラスに目こぼしされたなんて思ってもみない間者は、ファンが目の前に立つのを待って短剣を繰り出してきた。 しかしこちらだってそれを知っていたのだ。打ち合わせ通り、シェーラルールはそれを落ち着いて処理した。
そんな芝居をうった理由は、ファンが砂漠の民に対しても紅の狼に対しても何の権限も持っていないからである。 権限があれば、シェーラルールのマドゥラスに対する駄々漏れの殺気を食い止めるためにも、彼を船長の座から降りてもらっていただろう。
権限がなければどうしたらいいか? 権限のあるものに罰してもらえばいいのだ。

ファンに権限がない理由は、父と兄の優しい配慮なのだから、ファンにはそれを咎める気はない。 彼らにとって自分は、一度失ってしまった娘の再来なのだ。 その存在を二度と失いたくないと思っている彼らが、ファンに必要以上の責任を与えることで 重荷を背負わせたくないのは当然だった。
それに彼らは、紅の狼に混じってファンが手伝いをしていることだって、辞めてほしいと思っているようだ。
「最近、イルザスとムントのヤツラがカモ(砂漠を渡ろうとする商団)の中に間者を紛れ込ませている。 目的は紅の狼の実態を掴むため、そしてイリューシャの命を奪うためらしい。 狼の仕事を手伝うのはいいが、お前は抜けているから姿を見せるなよ」
なんて、暗に危険を仄めかしてファンを脅しているのだから。

そんな理由で権限がないのだから、マドゥラスの所業を権限を持つ誰か──父か兄──に知ってもらうしかない。 それも自分の口からよりも第3者から伝えられるほうがいいだろう。 第3者として一番相応しいもの、そう考えた時に浮かんだのはジャッカルである。

ジャッカルは、父と兄、それに彼らが信用する少数の者しか知らない闇の存在だ。 砂漠の民の中に昔からいたジャッカルは、もとはイリューシャの守人を務める者たちだったと聞いている。 それを兄が諜報から謀略、暗殺までこなす闇の組織へと育てたのが現在のジャッカルである。 ファンはその姿を見たことはないけれど、その存在は常にファンのそばに感じられたし、兄がたまにそれに向かって何か指示を出しているところも見た事がある。 今回はそのジャッカルの気配がこの船の中にも感じられるから、姿は見えなくても彼らが乗っていることをファンは知っていてこんな策にでたのだ。

彼らなら客観的に、なおかつ確実に見たことを二人に伝えるに違いない。 そう思ったからこそ、マドゥラスの意図も間者が短剣を隠し持っていることも知っていて敢えてファンはその前に立ったのだ。
たぶんジャッカルにはファンとシェーラルールが下手な芝居を打った事などお見通しであろうが、それでも確実に全て兄に伝えられるだろう。 それでいいのだ

「今回の間諜はいつもより多いね」
予言者イリューシャは、外に畏れを、中に慈しみを。そういわれる存在だから、味方を罰する事や責めることはしない。 そんな古からの伝承の言葉を思い返しながら、ファンは柔らかく微笑んだ。
(直接罰を与えられないのなら、それができる者にやってもらえばいいんだから。期待してるよ、兄さん)
なんて彼女が思っていたことなど、その笑顔を見た誰も思っていないだろう。


「ただいま・・・・・・」
サマーティアのショルトー家に着くと、黒いフードを被った状態でファンはアイリーンに言った。 イリューシャの姿はサマーティアでも知られる存在になっているから、ファンは姿を隠すためにそんな格好をしていたのだ。

「ファン? ファンなの?」
アイリーンの問いかけにコクリとうなずく前に、彼女はファンの小さなからだを抱きしめた。
「おかえりなさい。さあ、そんなもの被ってないで顔をよく見せて頂戴」
目に涙をため、両手でフードを取ろうとしたアイリーンの手を制しファンは後ずさった。
「どうしたの? 懐かしい顔を見せて頂戴」
アイリーンはファンが後ろに下がった分だけ前に出た。しかし、ファンは同じだけまた後ろに下がる。

「どうしたの?」
訝しげに首を傾げるアイリーンに、ファンは応えず俯いた。 やっぱりフードを取らないといけないのか、と。 しかし、意を決すると思い切ってフードを取った。 変わってしまった自分を、アイリーンが受け入れてくれるか心配だったのだ。 それは、ここに来て、思った以上にこの家族に自分がなじんでいた事をファンが自覚した瞬間だった。

だけど、アイリーンはファンの姿を見た途端、嬉しそうに再度抱きしめた。
「あらあら、みごとに変わっちゃってぇ。だけど中身はファンのままね」
「お、母さ、ん・・・・・・」
温かい胸に抱き寄せられ、ファンは母のテンションに困惑する。
「娘がその姿に変化するのを見るのは、2回目ねぇ。もうむしろ成長のひとつだと思ってしまえるわ」
母は少女のようにうきうきとした声でそう言うと、銀灰に輝くファンの髪を手で梳いた。


10/09/08


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