すべては、あなたのために・・・・・・

   第1章 シークレットアイズ   ー26ー

見事に変わってしまった。母がそう言って梳いたファンの髪はかつての色、イルザス人特有の黒髪に翡翠色の瞳ではなかった。 髪は銀灰色、瞳は青銀。それは古より伝えられてきたイリューシャの色そのものだった。 この色に変わったのは砂漠の城に着いてすぐ、もっと力がほしいとそう思った次の日だった。 そしてその事実を、朝起きて真っ先に部屋に入ってきたシェーラルールに指摘されて初めてファンは知ったのだった。
不思議な事に、顔の造作は以前とまったく変わっていないのに、髪と目の色が変わっただけでファンの印象はまるっきり違うものとなっていた。 銀灰の髪は闇の中でもうっすらと光を放つのではないかと思えるほど神々しい印象を与え、青銀の瞳は思わず引き込まれそうなほど深い。 野暮ったいメガネは外され抜けるような白い肌とパチリとした目がよく見える。 それに、チビメガネと言われた小さな体は、無意識のうちに庇護欲をかきたてられる。

その彼女の髪を梳きながら、母は少女のようにはしゃぐ。
「だけど、それじゃ本当にどうにかしないとこの町は歩けないわね」
その言葉にファンも同意する。だって、そう思ったからこそフードで頭をすっぽりと覆ってここまで来たのだから。 いまや、銀髪銀目のイリューシャは、紅の狼とともにイルザス、ムントの両国でお尋ね者として名の知れた人物となっていた。

「困ったわね。サマーリィ殿下からまたあなたに会いたいって来てるのよ。だけどその格好じゃ、会わせるわけには行かないわねぇ」
母が思案顔で呟くと、シェーラルールが片眉をピクリと動かした。
「ダメです! 奥様はイリューシャ様に──」
「ファン。ファンターリアよ。ここでイリューシャの名はちょっと、ね」
食ってかかる彼女の言葉を遮り、その唇に人差し指を向けると母はすばやく名を訂正させる。 イリューシャがお尋ね者だから、その名を使うなんて避けたほうがいいに決まっている。 そう思って母は言ったのだろうが、ファンはその言葉に少しほっとした。 ここでは、母のいるこのサマーティアではイリューシャの仮面を被らなくていいんだ。 違う名で呼ばれ、姿まで変わってしまって、どこかでファンは自分が自分でなくなっていくような錯覚を感じていた。 だから、ここではファンでいられる。そう思った時、心が少し軽くなった気がしたのだった。

「あら〜ん、それが今噂の、紅の狼のイリューシャ? 随分と小さいのねぇ」
母との再会を果たし、気が緩んでいたファンはその声にびくっと肩を震わせた。
(拙い。こんなところで捕まるわけにはいかないし、母にまで迷惑がかかる)
どうやら店の奥から聞こえたらしい艶っぽい声の主にファンは振り返り、ぎょっとした。 なぜなら、胸元の大きく開いた犯罪すれすれの扇情的な格好をした女性が微笑んでいたからだ。 脚線美丸見えの大胆なスリットの入った真っ赤なドレス。挑発的なヘアスタイル。 そのどれもが黒い髪と翡翠の瞳によく似合っていたが、女性であるファンでさえ顔を赤らめるほど、彼女は誘惑的だった。

「あら、カダーリエ。かわいいでしょ? 私の娘は」
母は目を丸くしているファンの横で自慢げに娘を紹介し始めた。
「・・・・・・だれ?」
カダーリエと呼ばれたイルザス人に対して、母は何の警戒も抱くことなく接している。 その様子に耐え切れなくなったファンは、女が何者なのか気になった。

「カ・ダ。私のことはカダとお呼びください。イリューシャ様」
「え・・・・・・?」
畏まって膝を付くカダの姿にファンはますます警戒して固まった。 なぜ?
(彼女、イルザス人なのに、どうして私に膝を付くの?)
訳が分からず説明を求めるように母に目をやった。
(どう考えても、このセクシーな女性がチビメガネの私なんかに頭を下げるのか理由が分からないんだけど・・・・・・)

「カダーリエは、イルザス王家のお抱え医師だったの。だけど、今はあなたと同じお尋ね者。 イルザス王ヴラディの養女が連れてきた医師が、彼女を罠に嵌めてその地位を追い落としたの。 で、王の命を狙った者として追っ手に追われ、殺されそうになっていたところをうちのお父さんに助けられ、ここに連れてこられたのよ」
「父さんに?」
そういえば彼とはカントで分かれたきりだ。今どこにいるのかその所在さえ分からない。 それがいつの間にか人助けしてて、サマーティアに来ているなんて・・・・・・あの人の行動だけは読めない。 呆れると同時に、それ以上の説明を聞く気になれずファンは力なく笑った。

そんなファンの様子を逆に訝しく思ったのはカダーリエのほうだ。 なにしろフィリップの名が出た途端に彼女の、そして彼女を守るように従う女性の警戒が解けたのだから。 まだ何の説明もしていないのに、である。
「ああ、いいですよ。カダさん。父が連れてきたと言うだけで、あなたは信頼に値します。 父はヘラヘラしてて何を考えてるか分かりませんが、人を見る目だけは確かですから」
カダーリエの疑問に応えるかのように言うと、両手をひっぱって立たせる。
「ここではファンと呼んでください。それに敬語はいりません」
ファンはそのまま静かに頭を下げた。

「まぁ、まぁまぁ。かぁわいい。気に入ったわ〜。だから心配無用よん。 その髪の色、サマーティアにいる間はカダの特製カラーリング剤で真っ黒にしてあ・げ・る」
立ち上がったカダは急に態度を変えて笑顔でファンに抱きつくと、ファンの顔を自分の方に寄せてウインクした。
(ちょ、これが本当に王家お抱えの医師? 私にはいかがわしいお姉さんにしか見えない・・・・・・)
「あ、あはは・・・・・・」
色っぽい仕草で腕を絡めてくる彼女にファンは片方の頬をヒクヒクさせながら無理に愛想笑いを作りつつ、密かにそう思った。



アラントから手渡された小さな伝書ようの手紙に並ぶ女文字。 それを無意識に指で名でつけながらディルは考えていた。
(イリューシャはなぜ俺を助けるような真似をしたのだろう?)
ディルにとってイリューシャと言う名の女に心当たりは一人しかいない。 何年か前に、どこからか現れると同時に父であるヴラディ王を虜とし、まんまと養女の座に納まった女。 いつも黒いフードで顔を隠す出自のまったく不明な女。
あの女がヴラディ王の前に現れてから、ディルには碌なことがなかった。 ムントの牢に繋がれたり、命を狙われたり・・・・・・。 それに、カントやキサズへの無理やりな進軍命令。
その全てが元を正せばイリューシャの進言に拠るものだと聞いている。
(そんな女がなぜ俺を助けるような手紙を出した?)

そういう手紙を出すとしたら、あのフード女よりも・・・・・・。
瞬間ディルの脳裏に、遠くを見据えたまっすぐの光を讃えた瞳、小さなメガネの少女の顔が浮かびあがった。

...to be continued.

10/09/09


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